茶道文化と喫茶店
「茶道」は古くから日本で親しまれてきました。私たちが学ぶ「煎茶道」もその一つです。
しかし、現代の私たちが普段友人などに「お茶しよう。」というと、それは喫茶店やカフェなどでコーヒーや紅茶を共に味わう事を意味するでしょう。
こうした喫茶店やカフェには、「茶道文化」との接点があるのでしょうか?同じ喫茶文化として日本で広まった共通点について考えてみます。
まず、日本でカフェという言葉は明治時代にフランスから伝わりました。
フランスではカフェは不特定多数の人と、政治、社会、芸術について語らう場所として、フランスの歴史の中で重要な場所です。
その為、西洋美術を学んでいた松山省三という人が、日本にもそのようなカフェを作りたいという思いで日本に初めてのカフェを誕生させました。
フランスにならったカフェは、コーヒーだけでなく、酒類の提供も行っていましたが、次第にカフェは女性が男性を接待する店に変化していきました。
フランスのカフェ文化は日本ではうまく定着しなかったのです。
その中で、ただ純粋にコーヒー等を楽しみたい人が訪れる店として喫茶店が誕生しました。
このようにフランスのカフェが長年定着しなかった理由のもう一つに、日本の「茶道文化」と日本人特有の性格があると考えます。
喫茶店…喫茶店営業許可:
酒類以外の飲み物又は茶菓を提供する営業となりトーストやケーキなどの軽食のみ
カフェ…飲食店営業許可:
食品を調理又は客に飲食させる営業となり調理全般が可能
フランスのカフェは、テラス席があり、オープンに作られています。反対に日本にある従来の喫茶店は、落ち着いた静かなイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。
日本人にとって、一般に他人の直接的な視線を受けることはもちろん、特に飲食中を外部の人から見られることはあまり好まれるものではありませんでした。
その為、喫茶店の中の客が外から見えるということがあまりないように作られていました。古来、茶の湯の形式も同じく外部からの視線がない室内で、休息できる空間が作られています。これは茶室という空間が日常とは異なる異空間であり喧噪を離れた一隅であることを表すのと同じ考えであったのではないでしょうか?
また、喫茶店は、マスターだけがカウンターの客全員を見渡すことができ、細やかな気配りがしやすいように考えられています。この主と客の位置関係と役割も茶席を思いおこさせます。
喫茶店のはじまり
1734年江戸時代(享保19年)に京都東山に通仙亭という庵を設け、煎茶を淹れて人々に振る舞った売茶翁という方がいました。時には一人愛用の茶具を担ぎ東福寺や下鴨神社糺の森など景勝地に出向き茶店を開きました。
当時では目新しい急須を使い煎茶を淹れ、「ただよりは負け申さず」と茶の値段は客次第としてその日過ごせるだけの茶銭をもらい過ごしていました。
禅僧であった売茶翁は目前の客に茶を淹れながら禅の話や心のあり方などに触れていましたが、次第に売茶翁の四方山話に興味を持つ文人たちも集まるようになりました。
そして伊藤若冲、円山応挙、上田秋成たちはじめ江戸の多くの文人たちに多大な影響を与えました。
この売茶翁こそ煎茶道の祖と呼ばれ、やがて我が国においてお茶をのむひとときが心の覚醒、心を整えるひとときと結びつくようになってきました。
このように通仙亭が日本における喫茶店文化のはじまりであり、現代でも私たちは喫茶店やカフェなどで「お茶をする」ことにより喉の渇きだけではなく、心のリフレッシュを求めているように思います。
その後、昭和50年代のうたごえ喫茶やジャズ喫茶をはじめ、漫画喫茶、メイドカフェ、ねこカフェなど同じ趣味を持つ人々が集い、共通の話題で楽しめる店が出来てきたのも江戸時代に売茶翁のもとに集まり、煎茶を楽しんだ通仙亭と同じ要素を含んでいます。
このことから分かるように喫茶店は、「茶道文化」に親しまれてきた日本人好みの店といえると思います。そして時代を経てカフェ文化を取り入れていき日本独自の喫茶文化が花開いて参りました。
売茶翁から続く「煎茶道」も「喫茶店」も心をリフレッシュすることができる日本の文化として今後も末永く多くの人々に愛される文化であってほしいと願います。
【参考文献】
中村啓佑「日仏文化比較理論(2)カフェと喫茶店」、
『追手門学院大学文学部紀要』追手門大学文学部31号1995年