日常生活に溶け込んだ梅
先日のお稽古の正客定は萬玉玲瓏でした。
梅の枝になる実が飾られていて、「梅の実が玉のように麗しく輝いている。そよ風でその実が揺れて涼やかな音を奏でているようす」という、蒸し暑い梅雨の時期にぴったりの盛り物でした。
梅の美しさと言われたら2月ごろの梅の花や香りを思い浮かべてしまいますが、この時期の梅も青々とした実の様子から初夏の爽やかで心地よい気候が想像できて素敵だなと感じました。
そして6月はちょうど梅干しづくりが始まる時期です。梅干しを食べると目が覚めて、自然と元気が出てきますよね。
梅は中国にて2000年も前からすでに薬用として用いられていたようです。
中国最古の薬物学書『神農本草経』にて梅は「気を下し、発熱による胸部煩満を除く、心をやわらげる。肢体痛を治す」とされているそうです。
日本へは飛鳥時代に伝わったようですが、当時は食用ではなく、観賞用として楽しまれていたそうです。
今ではお花見と言ったら桜を思い浮かべますが、当時は梅のほうが人気だったほどです。
実際に万葉集では桜に関する歌は40首程度なのに対して梅に関する歌は119首も読まれています。元号「令和」も万葉首の「梅花の歌」からとられていましたね。
平安時代になると日本でも梅を薬用として用いるようになりました。
丹波康頼撰が著した日本最古の医学書『医心方』の「食養編」には、「味は酸、平、無毒。気を下し、熱と煩懣を除き、心臓を鎮め、四肢身体の痛みや手足の麻痺なども治し、皮膚のあれ、萎縮を治すのに用いられる。下痢を止め、口の渇きを止める」と記述されています。
また、村上天皇が疫病にかかった際、梅干しと昆布を入れたお茶を飲んで回復されたそうで、これがハレの日に飲む縁起物として今に受け継がれている「大福茶」の起源とされています。
高級食材であった梅も武士が活躍するようになるとさら全国へ広がっていきます。
梅は素早く栄養を摂取できるうえに保存しやすい食べ物であるため、戦いの際に非常に重宝され全国で梅が栽培されるようになりました。
江戸時代に入ると梅は庶民にまで広がっていきました。
梅干しがたくさん町で売られるようになり、多くの梅の漬け方がこの時代に生まれました。
薬用として用いられて生きた梅干しも日々のおかずとして食べられるようになりました。
そして江戸時代末期に流行したコレラを治療する際にも梅干しが用いられていたそうです。
今では梅干しだけでなく、梅サワーや梅ジャムなど、多くの食べ物で梅が使用されていますよね。
ポテトチップスなどのスナックでも梅味は大人気です。
今回は主に梅干しについて紹介しました。
春は梅まつりでお花見をして、夏は玲瓏を楽しみ梅干しを作って、秋はつくった梅干しを食べて、冬は風邪に備えて梅干しが大活躍!
梅だけで四季を感じられますね。日常生活にちりばめられている梅をもっと発見していきたいです。
【参考文献】
・梅の歴史 | 梅と日本 | 株式会社トノハタ (tonohata.co.jp)
・梅の歴史 | 梅を知る | 一般財団法人梅研究会 (umekenkyuukai.org)