日本人と温泉
「日本人は本当に温泉が好きな民族」と言われるくらい、温泉は日本人にとって大切な文化になっています。
そんな日本には2万7000本を超える源泉があり、3000か所を超える宿泊施設のある温泉地があります。
豊かな温泉資源に恵まれていたからこそ温泉文化を育んできました。
外国にも温泉はありますが、病人を治療するための病院付属施設として発達したので、日本のように薬湯効果に限らず娯楽として発達していることは、日本人特有の意識があると思います。
水には浄化力がある、という意識が日本人にはあります。禊ぎに水を使う意味が出てきたのもこのことが理由で、神社や寺院にある手水舎(てみずや)で参拝者が手や口を漱ぎ清めることは、禊をシンプルにしたものだと言われています。
古くから、水浴は心と体を清浄にするものと考えられてきました。それが日本固有の宗教である神道の禊ぎです。
朝廷で重要な儀式が催される場合、公家衆は朝早く起き、水を浴びて心身を清めてから出かけることを習わしとしていました。それが庶民に下りてきたのが行水という習慣です。
たらいの水で汗を取りながらさっぱりするという行為には、同時に心の中まできれいにするという日本人の思いが込められています。
8世紀に中頃、大陸から数多くの仏教経典とともに「温室経(うんじつぎょう)」というお経が入ってきました。
「風呂に入ると功徳が得られる」という教えで、本来禊ぎの儀式では冷たい川や滝、海の水などで心身を清浄にしていましたが、お湯や温泉は肉体的にも気持ちが良いので、「湯浴みすると功徳が得られる。7つの病を除くことができ、七福が得られる」と説く経典が歓迎されたのです。
このことが理由で、日本の寒い冬に穢れを祓う対策として湯を使うようになりました。神道の「禊ぎ」の精神と仏教の「温室経」が融合し、外国の単に体の表面の汚れをシャワーによって「洗い流す文化」ではなく、心の汚れまで洗い清める日本の「浸かる文化」、つまり温泉文化が誕生したとも言われています。
日本の医師たちが温泉を本格的に用い始めたのは江戸時代になってからです。
その開祖は、古方医学の大家である後藤艮山(こんざん)です。
艮山は当時の実証性の乏しい中国医学に危機感を抱き、薬の効能について本当に効くかどうかの確認作業を求めるなど、実証医学の先駆け、医学革新運動の旗手と言われました。
艮山が発表した学説は「一気留滞論(いっきりゅうたいろん)」といい、人間が病気になるのは気が滞るからであるという説です。
艮山は滞っている気を解放することで病気が治ると考え、「気」を高めるために熱めの温泉に入ることを勧めました。
これは交感神経を刺激する方法で、元気を出したり、やる気を高めたりするには熱めの温泉に入った方がいいということです。
「薬湯」とは、漢方などの生薬や薬剤を入れた風呂、または温泉の療養泉の効果が発揮された風呂のことです。
本来薬湯は体の不調を整える湯治目的のためのお風呂です。
しかし、血行を促進したり、湯冷めをしない効果があるとして、老若男女に愛されています。
薬湯が日本に伝わったのは、中国から仏教が伝来されたとされる飛鳥時代のことです。
仏教とともに中国の薬草療法が伝わり、それをもとに湯治法をあみ出したのがきっかけです。
温泉の周辺は温泉宿、宿場町、歓楽街などで繁栄をもたらし、日本人独特の温泉文化が発展しました。
温泉だけでなく周りの景色や環境との調和を重視し、旅館の雰囲気や料理のおもてなしなど総合的な作品のように温泉を作り上げてきたことに、日本人の和の心を感じます。
【参考サイト】
・なぜ日本人と温泉は縁が深い?その歴史をご紹介します! (hotspringtrip-erabikata.com)
・日本温泉文化史 (mizu.gr.jp)
・日本人と温泉 (onsen.kankoujp.com)