「じゃないほう」愚考
最近、メディアでも「じゃない方」という表現が使われます。
特に漫才コンビなどでは、大衆に良く認知されていて話題性のある人のことではなく、どちらかといえば影の薄い相方を差す言葉として使用されています。
自分が「じゃない方」と呼ばれると、何か寂しい気分になりますが、よく似た表現では「伸びしろがある」という表現をされることがあります。
「まだまだこれからだから、あなたは伸びしろがあるから」
「御校の生徒さんたちは伸びしろがありますね」
あまり褒めるところがない場合や、突出した才能が見当たらないが、素直な素材や人物に「伸びしろがあるねえ」などと表現する場合があります。
特に「じゃないほう」は、同等の対象物で比較し、自分が優劣の優に主眼を置いており、単に反対側の劣るもの、または何らかの理由で選別されなかった方を差しています。
一方、「伸びしろがある」は現時点では到達点に達していないが今後の成長に期待が持てるというある種の思いやりのある言い回しのようにも聞こえます。
全体の構造に重点を置くゲシュタルト心理学やアドラーのライフスタイル分析では足し算的考えというものがあります。
人前でのスピーチが自己採点60点という場合、
100点満点から60点を引くと40点分のマイナス要素があったことになり、そのマイナス要素を考えるうちに悲観していき思い悩んだり、トラウマになったりというケースも多くみられます。
しかし、足し算的な考えをしてみると、「人前で緊張したけど6割はスピーチができた」「前回よりはここが良かった」と0点からの加点していくことで物事を捉えることが出来ます。
そう考えれば、「じゃないほう」は優位にある方に目を向けているので、まさしく引き算的考えとなるのです。(100点-○○=じゃないほう)
ここで大切なことは、コロナ禍において、私たちは今まで当たり前のように出来ていた生活(通勤や外食や学校生活や旅行)が当たり前ではないことに気が付いたということです。
今までのとおり、当たり前のようにすべてが思い通りの100点に主眼を置き、物事を考えていると、今後はマイナス要素ばかりが増えて「これも出来ない」「あれも出来ない」と落ち込むことになってしまいます。
そういう時に忘れてはならないのは、今ある幸せに「感謝」することなのです。
「思いっきり美味しい空気を深呼吸できること」
「お腹がすけば、モノが食べられること」
「悲しいときに心配してくれる友人がいること」
「人前での60点のスピーチだったけど、みんな最後まで聞いてくれたし、拍手もしてくれた。たくさんの方に支えてもらったし有難かったな。」
と、見方を変えることで「感謝」することがたくさん生まれるということを忘れてはなりません。
ですから、「じゃないほう」の見方を変えてみると、その味わいや、直向きな努力、凸凹の凸を受け入れている事実など感謝できることも沢山あるのではないでしょうか。
・じゃない方がいるから目立つものを引き立たせることが出来る!
・商品開発でも凹があったからこそ、凸というヒット商品が生まれた!
などです。
単に「じゃないほう」と失笑するのではなく、いろんな視点から見ることで、その言葉の意味合いや存在意義を考えてみるのも人間力を高めることに繋がるのではないでしょうか。
小笠原流煎茶道では五カ条という道標があり、その中に「心技を奢らないこと」というものがあります。
「私の方が仕事が出来る!」
「あの人は要領が悪いから!」
と何かと他人と比べ、優劣をつけたがり、結果、じゃないほうと人を蔑むことにも繋がるのです。
日々の生活もそういうことがないように、奢ることなく感謝の気持ちを持って何事にも臨みたいですよね。